社会人の不定期ブログ。フィリピン/オーストラリア留学の後、大学を卒業。男はメンタル。

2012年12月29日土曜日

思うこと。考えること。感じること。

これだ!と思って書こうとするのに、その途中で選びたい言葉に迷ってゴールを見失ってしまうことがあります。簡単で雑味のない言葉を探そうとすればするほど固く不自然な語の連なりになってしまい、結果出来たものはまま自分が思い描いていたものとは違う訳です。難しい。

とても感覚的なもので、“気持ち”だとか“心”だとかあまりはっきりとは形にならないようなモノに対して考えることを留めておきたいと思う機会があるのでそのことを少し。


今の自分に問うべきことは、“そのまま生きて行っていいのか”ということです。


それが駄目だと感じたから休学と留学とを決めたのですが、具体的にどこが駄目でどうしたいのかという部分が大切であり、この先ののびしろに関係してくると思います。

小・中・高・大と人並みに歩いてきたなぁと感じる自分がいて、ただ、今になったからこそそう気づくことができているのかな。当時学生をやっていたころはそんな自分を俯瞰して見るような視野は全く持っていなかったです。

敷かれたレールの上を歩くとはこのことかと発見できたと同時に、他人と違う選択をしなくて自分が在り得るのかと反語的ですがひとつの疑問が出たわけです。このままではいかん!と、こうゆう感じです。そこで“違い”を生むものとして“留学”を取り入れようと思ったんですね。なんのくせもないですね。大学生が考えそうなことです。とても単純です。

ここで言えば留学することにあたりますが、“新しいことを体験すること”にこそ1番大きく自分を伸ばしていけるチャンスがあると思うんです。留学することは勿論、留学中に実体験できること、英語を未知の段階までレベルアップさせることや他国の人間との関わり合い、地域の生活風景など初めて出会う状況を肌で感じて、理解して、しっかりと自分なりに吸収できる機会を作ろうと決めたのです。

僕の知り合いには何人か刺激的な人がいますが、その刺激的と感じる所以はその人から出ている“感じ”によるものだと言えます。自分には無い経験をしていて、話す言葉も立ち振る舞いも人間味のあるその人だけの“感じ”として僕をわくわくさせるます。そしてそれはまた何か周りを元気にしているように感じます。このような“感じ”の持ち手が近くにいることが嬉しく、自分に照らし合わせてみると、それは進むべき道標をぼんやりと示してくれています。

留学をして、今の自分には無い経験をして、深く関わればそれだけ見返りがある人間になりたいと思います。それは万人相手じゃ難しいけど、少なくとも僕の周りの人にはそう思って貰いたいですね。“人間的な心を持った人になりたい。”“いろいろなことに一喜一憂したい。”“困難に立ち向かえるガッツを持ちたい。”と、そんな未来像を思い描いて心に据えて置くことにします。

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