世界標準語を学ばないか学ばなくていいかなど、議論する必要がどこにあるのだろうか?リベラルアーツという単語をふとしたきっかけで検索していたらある記事に載っていたものです。僕個人としても大学の教育...教育って言ってしまうととてもなにか大きなものに聞こえてしまいますが、大学での勉強に集中できていない時期がありました。2年生の前期でした。なかなか教科書をひたすらに学ぶ先にあるものが見えなくて講義は休みがちになっていました。その後は人との出会いに恵まれてなんとか立て直すことが出来ましたが、あの時感じた狭苦しさは最近再び感じているような気がします...というのも就活をしていて敷かれたレールの上をまた歩き始めた感覚があるからです。会社が採用解禁をしたからその流れができて、皆がやることをやって...と。あたかもこのメインストリームが誰もの目的地につながっているような感覚になってしまうんですね。決して否定的な意味では無くて、その中で自分の考えを持ち続けられれば大丈夫です。自分でやるべきことを判断して行動すれば主体性は失われないのですが、それがなかなか難しい環境だからそう思うんです。日本人は「相手がどう思うか」を気にするとよく聞きますが、これはドンピシャな気がします。この雰囲気に呑まれたくないなーと。実際自分でも周りの目を気にしてしまうときは無限とありますから(笑)どうにかこの考え方を払拭しなければ..どうにか。
まだまだ伸びしろはありそうなので頑張ります。よくわからなくてごめんなさいw
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